二次創作バブルを感じる

 バブル景気という言葉を知らない人は少ないと思う。けれどもこれ経済用語で、なんかちょっと難しい。バブルっつーのはまぁそのまま泡のことで、泡って膨らんだら弾けて消えちゃう。シャボン玉も屋根まで飛んだら弾けて消えるし、人魚も海の泡になって消える。じゃあそのバブルに景気がつくってどういうことかというと、金銭的な、お金に変えられる価値が泡みたいにふくらんで消えちゃうということ。極端な話にすると、昨日まで100万円だったものの価値が一日で100円になっちゃうみたいな。
 じゃぁ100万円のものが100円に”値下がりしちゃった”のかというと、それはちょっと違う。物の価値が下がったわけじゃない。これまた極端に言うと、もともと100円なのに、みんなが100万円だと思いこんでた。
 その魔法が解けて、なんだこれ100円じゃないか!って気がついてしまった、これがバブル崩壊
 経済はもうめちゃくちゃ苦手なので、これ以上の話はできないのだけれど、なんでじゃぁそのめちくちゃ苦手な経済の話をぐだぐだしたかというと、こういうことが、二次創作でも起こっているような、気が、する。
 

 ツイッターとかいろんなブログとかインターネットの波に乗って遊んでいると、二次創作の現場も随分変わったなって思う。そこまで経験値高いほうじゃないけれど、ペイントソフトとペンタブレットなんて敷居が高くて、おえかきBBSにマウスで絵を描いていたような時期からその流れにずっと乗ってここまで来ました。
 ツイッターもpixivもなかったころは、インターネット上に自分の描いた絵、書いた文章を公開するのだけでも大変だった。もちろんスマートフォンもない。家にパソコンがなければ何もできない。見ることすらできなかった。
 だから、作品を公開する人には、結構な熱量が必要だったような気がする。HPをつくろうとしたら、HTMLで最初からデザイン考えて配置してバナー作って、もちろん作品も増やしていかなくちゃいけない。でもぎゃくに言えば、それができる人しか作品公開ってしてなかった。
 そして、飽きたらぱぱっと消えてしまえるくらいには、つながりは希薄というか、提供する側と閲覧する側には大きな溝があった。


 二次創作の現場がSNSに移って、同じものが好きな人同士のつながりが強くなったことを、悪いことだとは思わない。
 作品公開に必要な熱量が少なくなった。省エネ。低燃費。エコ。だからみんなが作る側になった。これも悪いことではない。そして、作品が増える。これだって別に、悪いことではない。
 
 ただ、現場がSNSになって、良かった部分と同じだけ、怖いな、とおもうことがある。

 

 リツイート、いいね、お気に入り、点数評価、フォロー数、フォロワー数、いろいろなものが、数として、誰にでも見えるところに表示されてしまうという妙なプレッシャー。そして、その数の、公平性に欠けること。
 SNSを使ってジャンルに所属すると、ヒエラルキーが見えてくる。フォロワー、リツイート、いいね、お気に入りの数が作るピラミッドだ。
 でも、このピラミッドを、支配しているのは誰だろう。上層にいるのは、フォローされる、リツイートされる、いいねされる、お気に入りされる、圧倒的被評価者だ。評価者はどこにいる?ピラミッドは下に行くほど広くなる。大きなその数字を作っているのは、描かない人、書かない人なのではないか。ねじれてはいないだろうか。
 SNSは交流を促進する代わりに、そこに評価を持ってきてしまった。しかしその評価にはルールも基準もない。ウィキペディアなんかを読むと、評価には、”評価の方法””評価者”に”信用性”がなければそれは成立しない、なんて書いてある。
 じゃぁ、ツイッターやpixivの色々なボタンに、その”信用性”はあるのか。
 もちろん、点数が入れば嬉しい。リツイートしてもらえれば嬉しい。お気に入りも、いいねも嬉しい。それは間違いないし、ボタンを押す側に悪意があることの方が稀だとは思う。だから、そのアプローチに価値がないとは思わない。勇気あるお気に入りだってあるはずだ。心からのいいねだってあるはずだ。それは信じた方がいい。
 ただ、その数の差に、傷ついてやる意味はあるのだろうか。踊らされてやる価値は、あるのだろうか。

 

 誤解されやすい環境の中で繋がって、そのつながりにストレスを感じても、相互関係が強くなって、簡単に関係を絶てないことも怖さがある。
 HPを自分の城に例えるならば、ツイッターやpixivのアカウントは、もうルームシェアだ。〇〇さんの××ではなく、××の〇〇さん。そうすると、みんな仲良くはしやすくなる分、プライバシーだとか、考え方の自由とか、かなり制限されてくる。誰かを傷つけたくて創作をする人なんていないから、周りに目があれば、その目が気になるのは当たり前だ。
 才能や能力はあるのに、SNSで思うような注目を集められなくて、自分の作品の価値を疑ってしまう人がいる。逆に、注目を集めすぎて、自分のやりたいこと、言いたいこと、描きたいものをうまく表現できない人もいる。
 そして、求められるのが嬉しくて、自分の好き嫌いというよりは、沢山の人に受け入れられやすい作品を選ぶ人もいるのかもしれない。
 そして、ルームシェアだから、一緒に生活する人にかなり影響されてしまう。
 好きなものが増えるのは、それは良いこと。でも、これが低燃費な創作活動と重なって、そして、関係の絶てないSNSの、いろいろな数字からくるプレッシャーとも重なるとどうなるか。
 自分の好きなものではなく、みんなの好きなものを描く、書くマシーンになってしまわない?じゃぁみんなの好きなものって何?
 評価が欲しい、皆に見てほしいという気持ちは大切だと思う。その気持ちが、絵を描く原動力にも、文章を考える力にもなる。流行にケチをつけて、何もしない人より、流行の流れに乗って何かしている人の方がよっぽど立派だ。

 ただ、二次創作をするということは、原作から何かを感じているはずで、二次創作をするということは、何か主張したいこと、私はこんなものが好きなんだ、っていう抑えがたい気持ちがあるんじゃないか。少なくとも、輪郭のはっきりしない”誰か”のためやることではない。

 

 SNSでいろいろな距離が縮まって、そして評価みたいな場面が多くなった。みんなが作る側になれる土俵だけが出来上がって、後ろ盾も根拠もない数字が膨らんでいるような気がする。

 あなたは何を描きたい、書きたい人ですか。